だって美味しいんだもの

旅の記録や日々の備忘録。なかなかダイエットが続かない

なぜ人はレッテルを貼りたがる

なぜ人は他人にレッテルを貼りたがるのか。

 

何日か前に「手取り21万円の食費」について書かれたブログを読んだ時だ。自分では身の丈にあった生活をしていると思っているのであまり他人の収入を気にすることはなかったのだが、「手取り21万円の底辺」という表記が目についた。

ブログが言いたかった内容は最早頭に入ってこず、「25歳の時、手取り21万円も貰ってなかったで!当然金持ちとは思ってなかったけど、私って底辺として認定されてたんや!?でもちゃんと貯金もしとったし、それなりに楽しく生活してたし、何で見も知らんヤツにそんなこと言われなあかんねん!」と憤慨した。「何を以て底辺と呼ぶのか」が議論されないまま、何も知らない人間から「底辺」というタグを着けられたようですごく不愉快だった。

これだけなら気にもとめなかっただろうが、コロナ第3波と言われ始めてから数週間ほどが経ち、専門家会合から出た「若い世代の移動自粛」の提言(マスコミが作為的に選んだ言葉かもしれないという議論は置いておいて)が出て、思ったのがまた世代というレッテルを貼られるのかということだった。

「いやいや、もう十分すぎるほど自粛してるし仕事行く時はマスクしてるし、うがいも手洗いも消毒も念入りにやってますよ。少なくとも私の友人たちも、仕事と食材の買い出し以外でほとんど外出はしていないし、飲みに行くなんて話も聞かないですもん」と若い世代に含まれる私自身は思うけど、通勤電車乗るとマスクしてない人って色んな年代の人がいる。それって結局個人レベルでの努力であって、人によってその認識は異なるし、世代だとか性別だとかで分別できる問題じゃない。

(たぶん若い子が投稿した)Twitterを見ていると他の世代にも自粛させろって発言も結構あったように見えたけど、やり玉にあげられるから不公平感が浮き立ってるだけで、しっかり対策してる人はどの世代でもしてる。「若者」という広すぎる分類でひとくくりにされた側からすれば「ちょっと理解が足りないんじゃないか」と不満に思う。これで高齢者に呼びかけてたなら、できるだけの対策をとっている高齢者もやっぱり不公平だと思うんじゃなかろうか。

 

では、本題の「レッテル貼り」に戻ろう。レッテルを貼られて不快なのは理解不足に対する嫌悪感だと思うのだが、自身でも気が付かないうちにわりとよく「あの人はこうだから」といった考え方はしてしまっている。なぜ?

調べてみればこんなコラムが出てきてある程度納得した。

gendai.ismedia.jp

報道機関は情報伝達が使命の1つだから「誰もがわかり易い言葉」を選びたがるし、専門家たちの多くは自身が若者じゃないから、若者がわからない存在だ。だからこそ「抽象的な何か」に大きくくくってしまうということなんじゃないか。

病気をした時、色んな症状が出て何が原因かわからなかったが、医者から病名を聞いてなんとなく安心したことを思い出す。名前を付けることで正体を知れば対策がとれるみたいなところもありそうだ。

 

じゃあ全員自粛すればいい話だけど、そうは言ったって緊急事態宣言と何が違うの?とか経済回せって言ったじゃん!ってなるから難しいよね。でも言葉選びとか相互理解って大事なんだなって改めて考えさせられるな。